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学問を楽しく!

『むずかしい微分積分』

荒地出版社;大上丈彦 著

2003年05月 (1,800円+税)

教科書のご丁寧なレシピをたどっていては、試験に間に合わない。
確かに微分積分はむずかしい。
でもこの本を読めば、たくさんの道具にまごつかないようになるはず。

***目次***

  1. 微分・積分・極限の難しさ
  2. 積分への翻訳
  3. テスト前の微分講義
  4. 一合目から登る微分の山
  5. 極めつけの極限
  6. 再挑戦の微分
  7. 裏口から微分
  8. 微積分のちょっと深みへ
むずかしい微分積分

まえがき

おまたせしました〜、微分積分編です。

当初『4次元の林檎』(脚注1)に含めるつもりだったのだが、分量が多くなりすぎてしまったので別の本にした。早く読みたいというお便りをくれた方、どうもありがとう。どーぞ堪能してください。

本書は1日に1ページずつ進もう、みたいな

トロくさい目標は立てずに

購入したら3日以内に読破してください(笑)。実は、そういうやり方が数学を楽しむコツなのだけれどね。

もちろん本書は読者の皆さんが『4次元の林檎』など読んでいないことを前提に書いているので

初めてでも安心♥

のはずだけれど、「まえがき」の筆者の根本的な主張の部分だけは内容的にカブらざるをえない。筆者の著作の常連さんには無用だろうが、初めての方もおられるし、そのあたり、温かい心で許してもらいたい。


数学ほど「学生時代のイヤな思い出」を一手に引き受けた教科もめずらしいだろう。私自身、ロクな思い出はない。しかし、何をどう間違ったのか、数学でメシを食うようになってしまうから人生は面白い。本書は筆者の講義用テキストを元にしているが、出版にあたって次のことに配慮した。

(1) 受験生向けでなく一般人向け

でも、「受験生向け」ってのはどういうことだろう。難しいのかな。バカにしてるのかな。尊敬してるのかな。高校生はどちらなのかな。よくわからないが、ここでは次のように決めた。

受験生は、数学の好き嫌いは無関係。打算的に行動しがち。

一般人は、公式等の記憶はないけど、数学に思い入れがある。

こういう基準で、「一般人向け」ということで。数学への思い入れといっても、好きな人もいれば、嫌いな人もいるだろう。むしろ嫌いだった人の方ひが、「入門書」には惹かれるものかもしれない。別に受験生が読んでも筆者としてはいっこうに構わないが、受験生は受験があとxヶ月になると「xヶ月で間に合う数学」みたいな本を買うらしい。受験生は精神的に追いつめられがちだからね。もっとも、著者もあまり人のことは言えないが(脚注2)。まあ、私の書く本は、そういう用途には向かないだろう。

(2) 中級向け

世の中に、初級と上級の本は結構あるような気がするが、中級向けが少ない気がする。まあ、「数学中級」というランクが存在するのかどうかは確かに疑問である。数学はなんとなく

できるか、できないか

の学問であるような気もするからだ。そういうことを考えると「中級」をターゲットにした本があまりないのもわからんでもない。本当はよく探せば、中級の人が読むべき本はあるのだが、そういう本は「受験参考書」の棚にはなく、理工書の棚にあったりする。で、

成績的に焦ってる中級者には読まれない、と。

余裕がある上級者はヒマだから読んでたりして、そうすると、上級者はより上級になっていく。そもそも、焦ってる人は、数学が「おもしろい」なんてタイトルの本を見たら

むしろムカつくかもしれないね。

だって、面白くないよねぇ。数学の成績次第で自分の進路がどうなるかって時なんだから。

初級者と上級者の間には、確かに「壁」があると思う。それがいったい何なのかはよくわからないが、確かなことは、

難しい概念を易しく説明しようとして、

幼児語で説明しても、易しく説明したことにはならない

ということだ。初級の説明はわかったが上級の説明がわからない。こういうときは、別角度からの説明を聞かないと先には進めないのだが、受験に縛られると別角度からの説明に耳を傾ける余裕がなくなってしまうだろう。

(3) 算数のできた人向け

算数の得意だった人は、たとえ今の数学の成績がどんなに悪くても

数学ができないわけがない

と、筆者は思っている。きっと、ちょっとした「きっかけ」が足りないだけなのだ。本書の読者として、ぜひターゲットに加えたい。

(4) 大学入試問題を題材にする

これは中級者が手に取りやすいように、という意味もあるが、「モチベーション」の方が大きい。入試問題が理解できれば、数学をやった気がするというものだろう。受験生だろうと一般人だろうと、「大学の入試問題」は相手として申し分ない。微分積分の原理をイラストなどで説明した本はたくさんあるが、問題を解いたことがなければ数学ではなく雑学である。

ただ、本書の構成上、問題数はどうしても少なくなる。リクエストがあれば、いずれ問題集みたいなものを出したいとも思う(脚注3)

(5) 網羅的でなくていいから丁寧にやる

なんとなく、広く浅く知識を持っているよりは、「◯◯のことならアイツきに訊け」みたいになるとスゴイような気がする。だから、どーせやるなら詳しくやるべきだ。本というメディアで「手取り足取り」教えるのはかなり困難な気がするが、本には本のいいところがあるのだから、それを分析して利点を生かせばいい。本の場合には、傍らに先生がいるわけではないので、本の中にある情報でストーリーが完結しないといけない…って、これは「小説」だったら当たり前のことじゃないか。「よく考えてみると、『オウムを捨てに行くだけの話』じゃないか」みたいな本もあるが、それがつまらないわけでも無駄なわけでもなく、立派に存在価値を主張している。数学でもそういう本があっていいよねぇ。

(6) 厳密でなくていいから感覚的にやる

「何らかのことに精通すれば、他のことにも類推がきくようになる」と筆者は信じている。アメフトしかしたことがなければ、大事な展覧会の前にうっかり絵を汚してしまった美術部の部長の気持ちは「きっと、試合前にケガしたみたいなんだろうなあ」と類推するしかない。類推するしかないが、類推することができる、とも言える。全然違うような気もするが、それほどハズしているとも思えない。この「類推できる」という能力は非常に重要である。

新しいことを伝えるためには、筆者と読者で共通の認識が必要なのである。その上で、「◯◯は××に似てるよ」と教えていく。例えば、ある新人歌手について「どんな人?」と尋ねられたとき、「宇多田ヒカルに似てるよ」と言っても、聞いた人が宇多田ヒカルを知らなければ、何の説明にもならないだろう。宇多田ヒカルを知っていれば「ふーん」と思えるだろうが、それでも結局はその新人歌手本人を

見てみないと、わからない

だろう。当たり前だ。数学でも同じく、どんなにわかりやすい説明でも、自分で問題を解いてみないことにはわからないのだ。だから多少厳密でなくとも、説明の段階では

こんなもんか

という内容を伝えられればいい。それを具現化するのは、「教わった側の仕事」である。

(7) 歴史小説のように

本書はもともと講義用テキストだと述べたが、さらにその前身は筆者が大学初年度くらいに書いた原稿である。大学初年度だから、たいした数学の知識もなく(今もあんまり変わらんか…(笑))、いーかげんな記述も目に付くのだが、「勢い」は一番いいような気がする。やっぱり知りすぎると切れ味が鈍る。知らなければ断言できることも、例外を知ってしまうと、「そうは、言い切れないな…」となって、

「〜であることもある

とかいう弱々しい文になってしまう。弱々しい文を書くのは簡単である。間違いではないからだ。しかし、

間違いではない代わりに、役にも立たない。

逆に、あえて間違った文を書くのには非常に抵抗がある。世間からのツッコミはやはり怖いからだ。しかし、教育ということを考えると言い切った方がいいことも多い。

例えて言えば、「胃は何のためにあるのか」で、

  1. 肉を消化する
  2. 食べ物を貯めておく
  3. 胃酸で細菌を殺す

どれか、かもしれないし、全部、かもしれないし、どれも違うかもしれない。進化の過程で「たまたま」こうなっただけで、目的なんてないかもしれない。よーするに、「何のために」なんてわかるわけがないのである。確実と思われた史実や理論も、ことごとく覆されてきた。これが人類の歴史である。しかし、

そんなこと言ったら、全部「わからない」になっちまう。

当たり前だ。どのくらい詳しく言えばいいかは、結局のところ、相手に依るのである。本というメディアでは、読者のレベルがまちまちになるので、この問題はどう解決したらよいだろうかといろいろ考えたが、

最終的に、考えるのをやめた(笑)。

なぜなら、間違いを指摘できるということは、本書より高いレベルでわかっているということだからだ。本書はわかってもらうことが目的なので、筆者がツッコミに耐えればそれですむ話である。それよりも、「役に立たない記述」に埋め尽くされて、つまらなくて途中で読むのをやめられてしまう方がツライ。本というメディアは、自分からは「読んで〜」と声を出すことはできないのだから。

これと似たようなコンセプトの文学ジャンルがある。それは、

歴史小説

だ。小説には武田信玄と山本勘助の会話がしっかり再現されていたりするが、これはどの史料にもない。あるわけない。本当のことを知っている人はいない。ではその「再現」とは何か。

うそ

である。でも、小説とはそういうものだろう。小説は、そんなつまらないところの正確さを求めてはいない。もっと大きいものを伝えたいのだ。だからといって、史実まで曲げてしまっては歴史小説ではなくなってしまう。

「史実に基づき、行間を埋める」

これである。数学でもこういう本があってもいいだろう。ある箇所だけを見れば間違いだが、全体を通して、あるコンセプトで書かれているということが伝われば、読者の方で修正して理解してもらえると、筆者は期待している。

(8) 先生向け

家庭教師などで誰かに教えるときに使って欲しい。別にこの本の通りに教えてくれなんて気持ち悪いことは思わない。

全然別系統の教え方があるんだ

つまづということを念頭に置いて欲しいのだ。初学者の躓きやすいところをちょっと頭の隅においておくだけで、全然違ってくるものなのだ。

(9) ちゃんとオチをつける

もちろん、本書はせいぜい高校数学の範囲しかカバーしていないので、数学という大きな流れではオチをつけられるはずもない。数学というドラマの最後にどんな結末があるのか、筆者が生きている間にはその結末は見られそうにはない。

しかし!じゃあ歴史小説にはオチがないのか?長い話の一部を切り取ってドラマにしても、うまくやればそれなりにオチがつくだろう。これも小説だと思えば当然のことじゃないか。


というわけで、書き始めた当初は「教科書ガイド」としても使えたら予備校の授業のテキストにもなるしラクでいいかなあ、などという甘い考えもあったのだが、結局

とてもテキストにはならないもの

になってしまった。まあそりゃあそうだろう。歴史小説で歴史を教える先生はいないわな。

「微積分の細かい話はもういいから、他の単元も説明してくれよ。」確かにその言い分は正しい。受験を考えるととくにそうだ。一般には、得うか意部分をのばすよりも不得意部分をなくす方が、入学試験に合格るために効果的である。

でもね、

マニアックでいいんだもん!

数学はしょうもないことに「AがわからないとBがわからない。BがわからないとAがわからない」という感がある。

これじゃあ、無限ループじゃん

と言いたくなるが、解決法はひとつ。AでもBでもどちらでもいいから、とにかくわかった気になることだ。そうすると、両方わかる。AがわかればBがわかり、BがわかればAがもっとわかる。わからない悪循環ではなくて、わかる良循環になる。つまり、

最初は、気合!

である。自転車や水泳に苦労した人は多いだろうが、なんといっても第一の苦労は「最初」にある。オリンピックに出ようとするなら話は別だが、基本的に自転車や水泳は、運動神経とあまり関係ない。ママチャリに乗るくらいなら誰にでもできる。数学もそうだ。数学者になるならともかく、大学入試レベルには誰にでもなれる。もちろん、入試がタイヘンでないとは言っていない。たとえ町内水泳大会だって「100m平泳ぎ」で優勝するのはタイヘンだろう。でも、100mを平泳ぎで泳ぎきれるようになるのは、不可能ではないと言っているのだ。それなりの文章読解能力、すなわち、推理小説を楽しんで読めるくらいの読解力と論理・推理力があれば、大学入試の数学くらい、理解できないはずはない。理解できないとしたら、それは説明が悪いからだ。

数学は積み重ねだといわれるけれど、筆者に言わせれば「ジグソーパズル」である。手のつけやすいところから手をつけて、それを手がかりに全体を作っていけばいいのだ。ただ一応、このへんから始めるのがオススメですよ、と文部省(脚注4)が教えてくれている。つまり教科書は、

数学ジグソーパズルの「文部省おすすめコース」

なのである。教科書でわかりやすいと思う人は、別に、教科書で勉強すれしこうばいい。わかりにくいと思う人は、「おすすめコース」が嗜好にあわない人である。別に文部省のおすすめ通りやらなくても、他にも方法はあるはずなのに、実際問題、あまり見かけない。入門書が1種類しかなくて選ぶ余地がないのでは、好きか嫌いかの2択になってしまう。参考書や教科書ガイドの多くは教科書に準拠している。それはそれでいい。そういうものも必要だし、その方が便利なことも多いだろう。しかし、おすすめコースの種類が増えているわけではない。

全然別の入門書が、一冊くらいあってもいいじゃん

と思った。入門書は説明の仕方そのものにもっと変化をつけるべきだ。別角度からの説明が理解の助けになることはままある。他の本と対照したいなら、目次を検索すればよいだけのことだ。

そんなわけで本書は、数学ジグソーの「とある予備校講師のおすすめコース」である。範囲の区切り方も説明の仕方も、教科書とは違うけれど、どちらが好きかはお客さんが決めることだ。もっといいメニューがあるぞ、という先生は(きっとたくさんいるだろう)、自分で提唱すればいいのだ。いやこれは悪い意味ではない。日本ではそういう試みが少なすぎる。

もっと「独自のメニュー」を提唱する先生が

たくさんいてもいいじゃないか。

本書を読んで「オレならもっといいものが書けるわい」と思った方は、ぜひ書いてもらいたい。発表する場が身近になければ、筆者の主宰するメダカレ(脚注5)に投稿して欲しい。いずれにせよ、おいしくない料理が出てきたら、それはシェフが悪いのだ。教科書にせよ本書にせよ、わかりにくいと思ったら

それは著者のせいである。

文部省検定済の教科書は、ウラ表紙あたりにズラりと並ぶ執筆陣がそうそうたる面々で、うっかり悪口を言ったりしたら、先生方の親衛隊から

刺客が派遣されて抹殺されてもおかしくない

感じである。一人一人が筆者の数百倍はエラい人達ばかりなので、全部あわせて数億倍はエラいだろうなと思うが、それでも、教科書の記述が理解できないからといって、自分のせいだと思わないでもらいたい。筆者は今でこそ数学の教科書を書いてみようなどと大それたことをしているが、実は高校2年のときまで、1次関数のグラフさえまともに描けない状態だった。そんな状態だと、

つい執筆陣の権威に負けて、自分を責めてしまいがち

で、筆者も当時は自分を責めていたけれど、本当はそんなことはなかったのだ。権威のカタマリの教科書でさえ理解できなくても自分を責める必要はい。ましてやこの本が理解できなくても、筆者はたいしてエラくないし、

安心して、筆者のせいにしてもらいたい。

それが筆者の願いである。

自分を責めずに、別の入門書を探して、違う説明・自分にあった説明を探す努力をすることだ。絶対的な「いい説明」など存在しない。自分が理解できる説明が「いい説明」なのである。

『4次元の林檎』では第一章がまるまる「剰余定理」に費やされた。なぜ剰余定理からはじめたか、というと、単に筆者の趣味でしかない。本書では微分より先に積分から入るが、これも、ただの筆者の趣味である。アーティストがサビから入る曲を作っても最後にサビを持ってきても、それはそのアーティストの感性だろう。つじつまがあっていれば構成はもっと自由なはずである。そういう自由が数学というジャンルで存在してもいいはずだ。そして筆者はそういう自由を享受できる立場にいる。

ああ、クリエイターは楽しいな。

締切に追われて死にそうになりながら、魂と体力を削ってキーボードを叩いているんだから、このくらいの幸せは味わってもバチはあたらないだろう。ねぇ。

筆者の趣味で作った教科書で、一人でも多くの人と数学の楽しさを共有できたら幸いである。

執筆の機会をくださった、編集の椎野さん、酒井さんに感謝いたします。

  1. 『4次元の林檎』大上丈彦著;荒地出版社
  2. ついうっかり、「7日でできるロック・ギター」みたいな本を買ってしまったりね(笑)。
  3. リクエストしてください(笑)。
  4. 正しくは文部科学省と書くべきかもしれないが、本書では旧科学技術庁の方に敬意を表してあえて「文部省」と書く。
  5. メダカカレッジ http://www.medaka-college.com/


本書の誤植と補足です。

誤植の情報を送ってくれた皆様、ありがとうございます。

誤植と補足 <2005-03-06現在>
内容 page 位置 コメント
変更 全体 あちこち 出版時点では、微分と積分をつなげた人は誰か、ということについて、「ルベーグ先生」というスタンスで書いています。しかし、現在は筆者は「微分と積分をつなげたのはライプニッツ先生とニュートン先生の功績である」ということにしました。その方がより一般的だからです。ソフトバンクアイ新書『マンガでわかる微分積分』や、改訂後の『面白いほどよくわかる微分積分』などはそのスタンスで書かれています。ま、みんなみんな偉いんですけどね。
誤植 p.35 5行目 知らない人には ⇒ 知らない人は
誤植 p.56 脚注 微少 ⇒ 微小
誤植 p.60 7行目 微少 ⇒ 微小
誤植 p.88 下から
6行目
(x^2)^3 ⇒ (x^3)^2
本質的には間違いではありませんが、話の流れからすると、間違ってます。
誤植 p.103 5-6行目 2・2 ⇒ 2・1 です。したがって、次の行も間違えています。
+4 ⇒ +2 ですね。ごめんなさい。
誤植 p.104 囲み内 「f’にgをブチ込んだもの、掛ける行く、g’」→「行く」が余計です。
補足 p.107 10行目 修大さん「バグではないですが、ルートxの微分には、少々、唐突感があります。そこまでの流れが優しく丁寧なものなので、たどりつくことのできた微分初心者にとって、2分の1乗の微分はけっして簡単ではない(ってか無理)と思います・・・どこまで説明すべきか、に万人むけの正解はないと思いますが、16行目「それぞれ微分するのは簡単で」にひっかかる読者は存在すると思います。」

大上「う〜ん、そうですね。 確かにおっしゃる通りだと思います。書いてる本人は、勝手に行間を補ってしまうので、こういった指摘は非常に有り難いです。この件についてはフォローアップを考えます。」

誤植 p.159 12行目 「cos 2x = 1-sin^2 」⇒「cos 2x = 1-2sin^2 x」 単純ミスです。
誤植 p.177 5行目 「ことわらなのである」⇒「ことわらないのである」
補足 p.181〜182 ページ
境目
「はじめにぬいぐるみを向ける方向」⇒「はじめにぬいぐるみを置く位置」の方が他の例との対応がよりよいかもしれません。ご指摘ありがとうございます。
補足 p.185 P.185の式はP.183の7行目からとってますが、どーせなら5行目の式を使った方がいいね。
誤植 p.186 1行目 指数関数の例題(112ページ) ⇒ 113ページです。
誤植 p.190 3行目 「(続き)= ◯◯◯◯ 改行 = ×××× 改行 となるだろう」で、◯◯◯◯は前頁とのつながりをよく見ると要らないですね。
誤植 p.194 式変形中「…」と書きたいところが軒並み「・」になってます。
補足 p.195 1行目 「y=log x は y=e^x と逆関数の関係にあることを利用する」の方が適切かもしれません。
補足 p.200 3行目 右辺で「h→」のあとにゼロが抜け。logのあとのxは不要です。つまり右辺は「lim{h→0} log (1+ h/x)^{1/h}」となります。
誤植 p.206 ゼロと無限大が逆になっています。「□は∞に行き、■は□の逆数でかつゼロに行くとき」 ⇒ 「□はゼロに行き、■は□の逆数でかつ∞に行くとき」
誤植 p.207 ゼロと無限大が逆になっています。「□は∞に行き、■は□の逆数でかつゼロに行くとき」 ⇒ 「□はゼロに行き、■は□の逆数でかつ∞に行くとき」
誤植 p.242 あちこち P.242の dt= の式の分子にある「2」は、分母にいくべきです。それに伴い、波及的にミスが発生します。大変申し訳ありません。
誤植 p.273 2行目 解答は「章末」ではなくて、「chapter 9」です。
補足 p.285 13行目 最後のf^(n) だけ「(a)」が抜けてしまいました。
誤植 p.289 4〜5行目 g(x)は「g(x)=14×-10」ですね。うっかり、イキオイで間違えました。g'(2)が14だからxの係数は14で決まり。「g(x)=14x+□」となって、次はg(2)=18で、g(2)=28+□となるから、□は「-10」ですな。すみません。
誤植 p.304 このあと、ごっそり原稿抜けがあります。ひぇー。抜けた分のむずビブ追加を用意しました(パスワードは medaka です)。
補足 p.308 10行目 「h’=…」となっていますが、当然「h'(x)=…」の意味です。
誤植 補足
プリント
p.3 π/2 ⇒ x/2